就職面接に失敗するとゾクゾクする - とりあえず行動しようよという話。
「自分は何のために生きてるんだろう?」
数年前このことについてよく考えていた時期があった。残念ながらまだ自分には答えが分からない。だけど、一つだけははっきりした事があった。
後悔しない人生を送りたい
「今までやりたいと思っていた事は全てやった。悔いはない。これで心置きなく逝ける。この世に生んでくれてありがとう、お父さん、お母さん。楽しい人生だったよ。」
もし突発的な事故に遭わず安らかに死ねるとしたら、死ぬ直前は、このセリフを心の中で言ってから死にたいとうことだ。
で、よほど特殊な環境でもない限り、現代社会では人間は仕事をして金を稼がないと生きていけない。そして仕事というものは、人生の大半のウェイトを占めるもの。
悔いのない人生を送るには、自分がやりたいと思えるような楽しい仕事をする必要がありそうだ。でも、やりたい事は沢山あり過ぎて現実問題それを仕事にするのも難しそう。じゃあ、せめて少しでも楽しいと思える仕事をしたい。
もがいた結果、今の仕事は自分にとって「国際的な環境で外国人を相手にする」という部分的には楽しいものになったけれども、仕事そのものは楽しくない。軌道修正が必要かもしれない。次はどうしようかと考えるとゾクゾクする。
就職面接に失敗するとゾクゾクする
可も不可もない公立高校を卒業後、関西の三流私大文系に入学。卒業と同時に「食いっぱぐれのない資格」を取得して卒業後は、二年ほどその資格で働いた。
仕事はそれなりに楽しかったけど、環境がそれ以上に嫌だったので、一念発起してカナダに留学。留学後に手にしたのは、中途半端だが、とりあえず海外で全く困らない語学力と、ポジティブな物の考え方だった。今思えば後者が特に人生に大きな影響を与えたと思う。
留学後、日本で一年間だけ資格を使わずに働こうと思って臨んだ就職面接では、何度も落とされた。そして落とされる度に「ゾクゾク」した。
「やった!面接に落とされたから次は別な事できるやん!?あんな会社に採用されんで良かった。もっと楽しそうな会社を探そ!」
大学卒業後は、就職面接に落とされる度に人生のどん底のような気分になっていたのに、落とされると元気になっていく自分に驚いていた。
結局その後は「資格」を使って一年間、日本で我慢して働いたわけだけど、それでも期間限定と分かっているから生き生きとして働けた。
「うし、あと〜ヶ月でシンガポールに行ける( ´∀`)」
当時は別にシンガポールに知り合いがいたわけでもなかったし、就職のつてがあるわけでもなかった。それどころかシンガポールには行ったこともなかった。
だけど、近い将来未知の世界に行ける、そこで働ける(と当時は決めつけていた)ことにゾクゾクしていたのだと思う。ちなみに当時は「英語を喋るアジア人女性にとてつもなく萌える」という自分の性質もゾクゾクの理由の一つであったのはここだけの秘密だが、ついでに・・・
「仮にシンガポールで、どこの会社にも就職することができなかったらどうしよう( ´∀`)。オーストラリア?タイ?ドバイ?マケドニアなんてどうでしょう?もぉおよりどりみどりやん( ´∀`)」
なんていう事まで妄想する始末。一つの道が閉ざされたら、そこでゲームオーバーなんじゃなくて、他にも道は沢山ある。そして、どの道が自分に最適な道かなんて、渡らないと分からない。分からへんやん。
行動さえしていれば次の目標が見えてくる
自分の例をとってみると、「資格」を使って働いていた当時の「今の環境が嫌だから辞めるわ」という動機から始まった。
とりあえず英語を話せるようになりたいという漠然とした目標を持って留学。帰国後その目標を達成すると、自動的に海外で働く事という目標が見えてきた。
在シンガポールの糞日系企業に就職して、その目標は一応達成。次の目標は外資系企業で英語を使って働くことだった。今ここにいる。
そして今自分の中で見えている次の目標は、雇われずに働くこと。これは相当ハードルが高そうだけど、とりあえず目標に向かって進んでいるつもりだ。
海外の外資で働いていると人に話すと、よく「すごいね」と言われるけど、全然すごくない。一般的な公立高校を卒業して、三流私大文系という、落ちこぼれな経歴の人間が、好奇心の赴くがまま行動して今に至るだけ。強いて言うならあるのは行動力くらい。
現状に不満を持ちながらでも我慢できる人の放題が自分にとっては「すごいね」と思う。でも、それって楽しい?「現状に少しでも不満のある人は、適当でもいいから目標立てて行動してみれば?」と思う。もちろんセーフティネットは貼る必要があるけど、行動できる人は行動しないと損してると思う。余計なお世話かもしれないけど・・・。